ナガサキに想う 年末の旅 2014
日本は連休なのだそうですね。
「成人の日」・・・私の知っている「成人の日」は 1月15日だったので、15日以外の「成人の日」には あまりピンときません。
1月15日の「成人の日」は1999年が最後で、2000年からはハッピーマンデー制度により1月第2月曜日になったそうです。
私がオランダ生活を始めたのは1999年4月、どうりで実感がわかないはずです。
他にもオランダ生活を始めてから 日にちが移動した祝日がいくつかあります。
連休ができたことにより 国民がハッピーになったのなら、それでよかったのでしょう。
でも今回ブログで注目する ”この日”は、変わりようのない 目をそらすことのできない 忘れてはならない日です・・・。
2014年年末の長崎旅行最終日。
お昼前には「かもめ」に乗って帰路につきます。
3日目午前、早めに宿をチェックアウトして、今回の旅行の最後の目的地・浦上エリア「平和公園」へ。
私はこれまで 広島も 長崎も 訪れたことがありませんでした。
日本旅行をしたオランダ人の友人達でさえ 皆!広島を訪れているのに・・・。
ヨーロッパでも戦争で破壊された街や傷跡を見る機会は多く、まだ見ぬ 我が祖国・日本の 広島と長崎訪問を切望していました。
そしてついにこの日、訪れることができました。
平和公園に鎮座する 高さ9.7mの大きな 青銅製の平和祈念像は、近くで見るととても柔和なお顔をしていました。
平和祈念像には 思っていた通り、それ以上の意味や想いが込められていました。
Wikipediaやガイドブックによると・・・
神の愛と仏の慈悲を象徴し、垂直に高く揚げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、横にした足は原爆投下直後の長崎市の静けさを、立てた足は救った命を表し、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っているそうです。
(長崎県出身の彫刻家・北村西望氏造、被爆10周年の1955年8月8日完成)
上結合写真左・右:平和公園の入り口はきれいに整備され、エスカレーターもありました(「平和の歩道」)
上結合写真中:水を求めて亡くなった被爆者たちの冥福を祈り造られた「平和の泉」
平和公園に足を踏み入れ 一歩一歩進むにつれ、悲しみや憎しみ、独特の緊張感に襲われていましたが、公園の奥まで歩き 平和祈念像を眺めていると、・・・心が鎮まる気がしました。
平和公園内では それぞれのモニュメント等に、歴史や説明等が 解説されており、あまり知らなかった長崎の原爆の事を 知ることができました。
その後 まだ少し時間があったので、平和公園そばの「長崎原爆資料館」へ。
「平和公園」から「長崎原爆資料館」へ向かう途中、「原爆落下中心地碑」と「浦上天主堂遺構」がありました。
「原爆落下中心地碑」(上結合写真/左はズーム)の まさにその上空500mで 原爆は炸裂したそうです。
この地から500mほどの場所にあった浦上天主堂が、原爆により崩壊。
わずかに残った聖堂の一部を「原爆落下中心地碑」のそばに移築して「浦上天主堂遺構」として展示(上結合写真右の右端)。
そこからさらに少し歩き進むと「長崎原爆資料館」がありました。
1945年8月9日 11時2分
ボックスカー
ファットマン
プルトニウム原爆
ナガサキ・・・
「長崎原爆資料館」では、知りたくもない 関わりたくもないキーワードが 館内にあふれていました。
でも目を逸らすことはできません。
現実です。
展示ルームでは、手に届きそうな(実際に触れることのできる展示もありました) 原爆の詳細を伝える 資料や遺品の数々を見て、悲しみや憎しみがいっぱいになりました。
でもそれ以上に ”繰り返してはいけない”という気持ちが沸き上がります。
世界では今でも いつでも あちこちで 紛争やテロが起きています。
憎しみや復讐心しか生まない戦争はしてはいけない!
・・・と思うのは、自分が被害にあっていないからなのでしょうか、大切なものを失っていないからなのでしょうか・・・。
難しいテーマです。
「長崎原爆資料館」は、とても興味深く 分かりやすい展示で、 ”世界の平和”を考える良い時間となりました。
子供の頃、大分の(同年代の)いとこが「夏休みに(戦争を考える?)平和学級がある」(九州では?大分では?)と言っていました。
少なくとも愛知県の私よりは、戦争への知識や平和への想いが強かったんだろうなと、今 思います。
大切ですよね、伝えること・・・、考える時間を持つこと・・・。
ここからは番外編。
長崎市は さだまさしさん や 福山雅治さんの出身地なのですね。
ガイドブックに福山君が良く行く(らしい)ラーメン屋さんが紹介されていたので、ちゃんぽんを食べに散策途中に行ってみました(写真忘れました)。
思いがけず 混んでいなかったので、すんなり入店。
福山君はもちろん、たくさんのタレントさんのサインが飾ってありました。
NHK大河『龍馬伝』の俳優さん達も(大泉さんも!)。
ちゃんぽんは、思っていたより あっさりで 美味しくいただき、身体も温まりました。
長崎旅行中のお食事で 一番印象に残っている食べ物は、ズバリ!”うちわエビ”!!
お宿での豪華なお料理のお刺身盛り合わせに バーン!と登場しました。
上結合写真右が”うちわエビ”のアップ!
翌日の夕食でいただいた伊勢海老のお刺身よりも 美味しかったです。
エビ好きの私でも、見た目にはちょっと抵抗がある姿ですが、もう一度食べたい”うちわエビ”です。
長崎市の市の花は「あじさい(おたくさ)」!
オランダに住んでいる日本人は みんな知っています(たぶん)?!
鎖国中の1823年に来日したドイツ人医師・博物学者シーボルトが ”Hydrangea OTAKUSA”と命名した 日本原産のお花・あじさい。
シーボルトが愛した女性「お滝さん」にちなんでつけた名前です。
オランダ・ライデンにあるライデン大学植物園には、シーボルトが日本から持ち帰ったといわれるアジサイや様々な植物が植えられています。
写真は長崎で買ったお土産「おたくさ」・・・アジサイのお花の形をしたかわいいパイ!
長崎市マンホール・ブロックコレクション!(上写真)
長崎市散策中、たくさん見かけたアジサイモチーフ。
アジサイの季節にも訪れてみたいな~。
下の写真は ブロックコレクション番外編。
チューリップと船、長崎らしい?!
今回は 長崎市の実質1.5日だけの観光でしたが、長崎市にも、長崎県にも まだまだ訪れたい地がたくさんあります。
オランダを模した?テーマパーク”ハウステンボス”は、長崎市から電車で1時間半ほどかかる佐世保市にあるということで、(今回の旅の日程では時間がなく)行けませんでした。
オランダの街並み?と イルミネーションがきっと素敵なのでしょうね。
いつか機会があれば行ってみたいです。
短い旅でしたが、なんだか(勝手に!?)長崎市に ”縁” を感じてしまいました。
これからの人生で何度も訪れたい地となりました。
鎖国と開国、布教と禁教、繁栄と被爆・・・激動の歴史が交錯した街、長崎市。
激動の歴史を思い浮かべながら、駆け足で観光スポット巡り。
頭の中で ”歴史の年表”が グルグル駆け巡り、様々な感情がフツフツ湧き上がり続けました。
・・・ですが!
全体的な印象としては、とても”癒される街”でした。
物静かで親切な長崎の人々のお人柄でしょうか・・・。
あちこちで感じた”おもてなし”の心でしょうか・・・。
散策中に遭遇した たくさんののんびりしたネコ達のせいでしょうか・・・(長崎市はネコの多い街でした)。
町じゅうにある坂道を上る ゆったりとした歩みでしょうか・・・。
チンチンと走るレトロな路面電車の雰囲気でしょうか・・・。
確かに ”癒し”要素たっぷりの長崎市。
様々な歴史に翻弄されてきた長崎市の ”平和への想い”や”平和への強い意志”が、”癒し”の時間や空気 を作り出しているのかもしれません。
”癒し”の時間が いつまでも続きますように・・・。
世界が平和でありますように・・・。
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