« 緑の向こうに・・・アウシュヴィッツ強制収容所 Summer2013 | トップページ | クリスマス! アールスメーヤレポート2013年10月 »

2013/11/05

未来へのベクトル・・・アウシュヴィッツ強制収容所 Summer2013

Summer2013レポート、ポーランド3日目(クラクフ2日目)は、世界遺産 アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所Das Konzentrationslager Auschwitz-Birkenau 見学です。

ポーランドがナチス・ドイツに支配されていた第2次世界大戦中(1940~1945)、労働力の確保のため、また労働力とならない女性・子供・老人・劣性民族を処分する施設として造られたアウシュヴィッツ強制収容所。

Poland201308aw10アウシュヴィッツ第一強制収容所は、クラクフから西へ約54キロ、ポーランド南部の都市オシフィエンチム市Oswiecim(ドイツ語名アウシュヴィッツ)に、第二強制収容所は 隣接するブジェジンカ村(ドイツ語名ビルケナウ)にあります。

モノビツェ村(ドイツ語名モノヴィッツ)には第三強制収容所もあり(現存しない)、また周辺にはいくつも同様の施設があったそうです。


元々はポーランド人の政治犯を収容していたこの施設も、次第に ユダヤ人・ロマ(ジプシー)・障害者・ソ連軍捕虜など。

ヨーロッパ中から収容所に送られてきた人が皆 収容されたわけではなく、選別により、また選別なしに・・・そのままガス室に送られた人も大勢いたそうです。

当時のその様子をうかがい知ることのできる写真も 博物館にはありました。

Poland201308aw15

上写真もその一部、右写真はヨーロッパ各地からビルケナウへ移送列車で送り込まれた大勢の人々、左写真は「あなたは右へ、あなたは左へ・・・」と選別する様子

資料によると、1944年~1945年の間に130万人がアウシュヴィッツに送りこまれ、そのうち110万人が殺されたそうです。

同様のことがヨーロッパ中にあった(アウシュヴィッツ以外の)施設でも行われ、犠牲者は250万人(そのうち80%以上がユダヤ人)を超えるそうです。

Poland201308aw11生き延びたとしても、心理的抑圧、連帯責任、見せしめ、恐怖心などによりコントロールされていた強制収容所内の生活・・・。

どちらも想像を超える現実です。

入口には「働けば自由になる」と掲げられた門があります(左写真)。

ここを潜ったら 2度と自由になんてなれなかったのに・・・。


アウシュヴィッツ博物館(収容所跡地)には、当時のままの建物が整然と並び、当時 植えられたというポプラの木々が成長し 緑の葉を茂らせていました(ブログ冒頭の写真、下の結合写真など)。

Poland201308aw13

まるで閑静な住宅街のように整然と並ぶきれいな建物の外側には、当時は 高圧電流が流れる有刺鉄線が張り巡らされていました。

Poland201308aw14

上写真左は 「死の壁」と呼ばれる銃殺に使われた壁

上写真中は ガス室で使われた劇薬チクロンBの空き缶の山、20万キロも使われたとか

上写真左は ガス室の煙突、この内部も見学しました・・・


収容所跡地・館内には、たくさんの資料や当時の写真が展示されていました。

収容所に連行された人々の 没収された持ち物等の現物も 展示されていました。

衝撃的だったのは、髪の毛。

この髪の毛のコーナーは 写真禁止でした。

大きな部屋の 水族館のような 壁一面のガラスの奥に うずたかく積み上げられたものすごい量の髪の毛・・・.。

アウシュヴィッツでは収容される際に 老若男女 丸刈りにされたそうです。

グレイやチャコールグレイの髪の毛は、お一人お一人のものと判別できる感じで それぞれなんとなく 束・かたまりになっていて、それが山のようになっていて・・・ ・・・ ・・・震えました。

髪の毛は 布やカーペット等の織物の原料として利用されたそうです。

資料や写真の展示とは違うリアルさです。

他にも 収容されていた人々がこれまでの人生で日常に使っていたメガネ、クシ、歯ブラシ、靴、義足や義肢・・・どれも数えきれないほどの量が ガレキの山のように積み上げられていました。

山に埋もれた一つ一つの愛用品は、収容された人々や 命を奪われた人々に それぞれの人生があった証・・・。

残酷です。

さらに たまらなかったのは・・・大量のトランクの展示。

それぞれのトランクの表面には、大きな文字で住所と名前が書かれていました。

トランクは収容される際に 名前と住所を書かされ 没収となったもの。

これまでの生活を切り上げ、限られた量の身の回りの物だけをトランクに詰め、この地に連行され、その後のことを知っていたのか知らなかったのか(きっと薄々気が付いていた)、それを手放す時の気持ちを考えたら・・・ ・・・ ・・・涙があふれました。

力強い文字には悔しさや怒りや不安や恐怖・・・トランクに書かれたそれぞれの文字に 一人一人の感情が宿っているようでした(涙涙涙)。


Poland201308aw12当時 収容所には赤十字国際委員会の視察団も訪れたそうですが、ナチスの思惑通り! ”意図的に”平和的に造られた整然とした収容所の光景に、まさか!内部で虐殺が行われていたことには気がつかず、止める機会を逃していたとのこと。

もしかしたら・・・薄々 気が付いていたにもかかわらず見ぬふりをしたとの説もあることを ガイドの中谷さんがお話しされていました。

写真は説明してくださっているガイドの中谷さん

”世界の流れ”や”大きな力”には、それが間違っていようと 逆らえない・・・

似たようなものが 学校や職場のいじめですね。

大きな”力”が何かをきっかけに 大きな”負の力”になる・・・。

Poland201308aw16

上写真は、アウシュヴィッツ第一強制収容所から約2キロ離れたところにあるビルケナウ強制収容所

第一収容所を見学後、シャトルバスでビルケナウ収容所へ移動し、この木造の収容所内部も見学しました

上写真中:今のも残る鉄道の線路、ここに到着する移送列車から大勢の人々がこの地を踏みました。

上写真右:こちらは第一強制収容所とは違い、収容者数が増え 建造が間に合わず木造になったようです


今 ヨーロッパは大きな統合体・ヨーロッパ連合EUとなり、様々な民族・宗教の集まりとなって 共存しています。

”思想”や”力”の使い方が 間違った方向に向かえば、この悪夢と同じようなことが起こらないとも限らない・・・。

このような経験や背景から、近年 EUでは平和教育に力を入れているそうです。

多くのヨーロッパの人々が アウシュヴィッツを訪れたり、平和教育を受けているそうです。

Poland201308aw17anneなるほど・・・アムステルダムにある「アンネ・フランクの家Anne Frank Huis」の見学者がここ数年 ものすごく増加していると思ってたんです!

左写真はアムステルダムの「アンネ・フランクの家」、観光客の列は数十メートルにも 伸びています

こういった背景があったんですね。

私はてっきり数年前のアムステルダムの世界遺産登録がきっかけなのだと思ってました(それもあるとは思いますが)。

ナチスが政権を掌握後、ドイツ・フランクフルト出身のアンネ・フランク一家はアムステルダムに亡命していました。

亡命期間の最後の2年間(1942年7月~1944年8月)に、いわゆる「アンネ・フランクの家」Prinsengracht263番地で潜伏生活を送っていました。

アンネ・フランク一家は 1944年8月 Rosengrachtでの隠れ家生活中に、ゲシュタポに見つかり逮捕され連行され・・・今回私が訪れた アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所にも一時 収容されていたそうです。

アムステルダムの「アンネ・フランクの家」は少々商業的になっている印象も受けますが、商業的になろうとも 彼女を通してこの現実が少しでも多くの人に伝われば、それは意味があることだと思います。

このような悲劇が2度と繰り返されないよう、世界中の多くの民族・多くの宗教・多くの思想を持つ人々の目指す”平和な世界”が、同じベクトルであることを願います。


アウシュヴィッツを見学後、帰りはバスではなく電車でクラクフに向かいました。

行きのバスはとても辛かったので(11月1日ブログ参照)・・・

アウシュヴィッツミュージアムから最寄りの Oswiecim駅 まで徒歩約20分、Oswiecim駅からクラクフ本駅krakow Glownyまでの所要時間は約1時間45分。

猛暑のこの日 溶けるほど暑い昼下がりの20分の距離は、とても長く 遠く感じました。

汗が滝のように流れる中、無事駅に到着。

Poland201308aw18train行きのバスとは違い(?!)きれいで安心感のある電車に乗ると(左写真)、しばらくして電車は駅でもない林の中で止まりました!

それまで優しい笑顔で車内を歩いていた車掌さん達の顔が 厳しくなりました(汗)。

しばらくして車内放送がありましたが 英語の放送はなく、何人か乗り合わせた外国人ツーリスト達が「英語で説明して」と 慌てて他の乗客に訪ねていました。

私も、知らない場所で 言葉も通じないところでのトラブルには焦ります。

どうやら電車が壊れた?ようで・・・1時間以上 そのまま停まってしまいました!!

しばらくすると、その場で一部のドアが開き、乗客が電車から降り 線路脇を歩いて 去って行く人もいました。

いつ動くのかもわからない電車・・・不安になりました。

夏の日中で 外が明るかったこと、少人数でも英語が通じる人が乗り合わせていたこと、そして冷房が効いていたこと・・・が救いでした。

たった1~2時間前、あんな過酷なアウシュヴィッツの光景を見たばかりなのに・・・私はたったこれだけの出来事で うろたえてしまいます。

アウシュヴィッツ見学中は、当時の収容された人々の気持ちを考えたり 悲しんだりして、気持ちが寄り添えているような気になっていましたが・・・電車がちょっと停まっただけで それでも ちゃんと帰ることのできる立場の私に 理解できているわけがありません。

誰も 犠牲になった方々と同じ気持ちには絶対になれない。

・・・それでも 何かを感じ 何かに気が付いて、目指す平和のベクトルが 同じ方向になるのなら、あんな悲劇は もう2度と起きないかもしれません。

そんな世界になることを 祈ります。

ジモモ アムステルダムblogram投票ボタンにほんブログ村花ブログへにほんブログ村 海外生活ブログへにほんブログ村 海外生活ブログ オランダ情報へ

« 緑の向こうに・・・アウシュヴィッツ強制収容所 Summer2013 | トップページ | クリスマス! アールスメーヤレポート2013年10月 »

コメント

saiko3様、コメントありがとうございます。

saiko3様も行かれたのですね。
想像を超える愛用品・遺品の量・・・
それらを見て、どれだけのすごいことが
あの地で行われていたのかを
実感しました。
やはり写真や資料、数字の羅列では伝わらないですよね。

アウシュヴィッツを訪れた世界中の人が
気持ちの片隅にでもアウシュヴィッツで感じたことを抱いていれば、
きっと平和な世界になる・・・と信じたいですね。

私も去年の9月行ってきました。
大量の髪の毛や靴の山、特に子供の靴や服を見た時には
とても辛かったことを今でも思い出します。
私は英語のガイドツアーだったので、(私の英語力では)細かい所まで
理解出来なかったのですが、それでも・・・
あの量、ビルケナウの広さ、残念ながら写真で見るのとは違いすぎますよね。

いつもいつもそのことを考えている訳にはいきませんが、
自分の行動の後押しとか、歯止めになっていると思います。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 緑の向こうに・・・アウシュヴィッツ強制収容所 Summer2013 | トップページ | クリスマス! アールスメーヤレポート2013年10月 »

Twitter



  • Photo Collection by Thura

オランダ・アムステルダムの様子

オススメ ホテル予約サイト



  • Booking.com

オランダ・ヨーロッパへ出かけませんか?




海外旅行・留学情報など