雨のワルシャワ散歩・・・Summer2013
まだ続いています!Summer2013レポート、ポーランド5日目~最終日(7日目)は 再びワルシャワWarszawaです。
古都クラクフKrakówから 数日ぶりにワルシャワ戻ると、とても”都会”に感じました。
街並みはもちろん、いろんな意味での”都会”です(10月20日ブログ参照)。
ポーランドでの夏休み・・・想像を超える猛暑からの疲労と、クラクフでの思いがけない充実感で、ワルシャワに戻ってからは 見たいものも やりたいことも 特になくなってしまいました?!
だから ちょっとだけの市内散策です。
ポーランド・ワルシャワ初日は地下をさまよったり(9月17日ブログ参照) 猛暑の中歩いただけ(9月21日ブログ参照)?!で、ろくに街並みを見ることもできなかったので あらためて。
ポーランド旅行5日目、クラクフから電車で移動し ワルシャワへ到着したこの日は雨。
初日のカンカン照りのワルシャワと同じ町とは思えないほど、駅の地下からの出口から覗き見たワルシャワの町は 滝のように降る雨でかすんでいました。
前日まで37-38度だった気温は いっきに 20度くらいまで(夜は16度)下がり 過ごしやすくなりましたが、ちょっと降りすぎ・・・加減が難しいですね。
その後 小雨になり ワルシャワ歴史地区へお散歩へ出かけました。
世界遺産ワルシャワ歴史地区には「旧市街」エリアと「新市街」エリアがあり、町が発展した時代が異なります。
「新市街」エリアは初日にも歩いたエリアで、ワルシャワがポーランドの首都になってから栄えたエリア。
”新”といっても 16世紀からの歴史のあるエリアです。
「旧市街」はクラクフから遷都されるまでの時代の町の中心エリア。
旧市街にはバルバカンがあります(下結合写真)。
珍しい円形タイプの砦・要塞はクラクフにもありました(前出の10月20日ブログ参照)。
ワルシャワ「旧市街」も城壁都市だったようで、バルバカンを中心に城壁が連なっていました(下結合写真)。
ちなにみ「新市街」も「旧市街」も 第2次世界大戦で破壊され、戦後に復元されています。
当時の建材料や工法で 元通りに復元されたとしても、”復元されたもの”は やはり ”復元されたもの”に見えてしまいます。
昨年夏休みにはドイツ・ドレスデンで 同様のことを感じました(2012年9月19日ブログ参照)。
”戦争で失われたものはもう2度とは元に戻らない・・・”ということを、皮肉にも 復元された町や建造物から感じます。
「旧市街」の旧市街市場広場は、古い建物・レストランやカフェにびっしりと囲まれた”ヨーロッパの旧市街の広場”らしい広場。
上結合写真:旧市街市場広場、周りにはカフェやレストランが連なる
写真真ん中は”ワルシャワ”の名前の由来となったという人魚のストーリーにちなんだ人魚像
ヨーロッパらしさを感じるのはアムステルダムと同じように細くて縦長の家々が連なっているからかな~。
晴れの日だったら 家々のカラフルな色がもっと映えて、きれいで印象的だったかもしれないですね・・・残念。
上結合写真:まるでフラワー・プランツマーケット?お花いっぱいの旧市街市場広場のカフェ
残念ながら、私がここを訪れた日は雨だったので、あまりにぎわってはいませんでしたが、普段は地元の人々や観光客で埋め尽くされているのでしょうね。
旧市街広場の少し先の家々の軒の並びに キュリー夫人博物館Muzeum Marii Sklodowskiej Curie(キュリー夫人生家)は ひっそりとありました。
上結合写真:キュリー夫人博物館
マリア・スクウッドフスカ=キュリーMaria Skłodowska-Curie(1867-1934) もポーランド・ワルシャワ生まれなんですね。
子供の頃 伝記を読んで憧れたキュリー夫人。
子供の頃に飾った キュリー夫人の小さな写真が 今でも実家の私の部屋にあります(本当に憧れてたんですね~)。
放射性元素の発見で 夫妻でノーベル物理学賞受賞(1903)、ラジウムの性質およびその化合物の研究において単独でノーベル化学賞受賞(1911)。
放射能radioactivityという用語は彼女の発案によるものだそうです(Wikipedia参照)。
博物館といっても さほど目立たない軒並びの家の一軒に ひっそりとその入口はありました。
ここかな~?と入口を入り 階段をのぼって行くと 扉(上結合写真左)がありました。
そのフロアの数部屋が博物館となっており、キュリー夫人の研究に関わる資料や写真や所蔵品が展示されていました。
物理・化学関係の方々から見ると 貴重な品々の宝庫かもしれません(上結合写真もその一部)。
アインシュタインAlbert Einstein(1879-1934)と一緒に写っている写真も ありました!
戦中、アインシュタインからアメリカ・ルーズベルト大統領への助言が 原爆のきかっけになったと言われています。
博物館出入口に備えてあったメッセージ帳に目を通すと、世界中の訪問者から 彼女の偉業をたたえるメッセージや、物理や化学に携わっていると思われる方々からの 尊敬や(この分野の道を開いた)お礼の言葉があふれていました。
平和を願う言葉も いくつも添えられており、ウルッときました。
私がこの博物館を訪れたのは 長崎原爆の日の翌日の8月10日。
そして現在進行中の課題である福島問題・・・は 日々頭を離れることはありません。
放射性物質は その後 新たな分野として革新し・・・、負の兵器や 制御不能の原子炉が誕生しました。
人類にとって”幸”をもたらすはずの放射性物質は、キュリー夫人の希望に反し 使い方次第では”不幸”ももたらす・・・。
キュリー夫人がもし現在の世界を見たら どのように感じるのだろう・・・。
キュリー夫人博物館の窓越しに静かに降る雨に・・・キュリー夫人の涙を見たような気がしました。
ポーランドはいろんな歴史に触れることができる国です。
16世紀末にクラクフから遷都したポーランド王ジグムント3世の居城として建造。
旧王宮前のワルシャワ王宮広場にはジグムント3世像(左写真・別の晴れの日に撮影)が ワルシャワ市内を見渡すようにたっています。
当時はヨーロッパで最も美しい宮殿の一つと言われた王宮でしたが、やはり第二次世界大戦時、徹底的なナチス軍の攻撃・爆破により破壊されました。
1988年に復元が完了したそうです。
破壊される前に国外に持ち出された豪華な調度品・家具類は 難を逃れ、現在は復元された旧王宮内に戻され、博物館として公開されています。
上結合写真:豪華絢爛な旧王宮内(一部)
旧王宮が爆破・破壊されるシーンは、この夏のポーランド旅行中に イメージ映像や資料・写真等 様々たくさん目にしました。
戦争は 日本も含め 世界中でありましたが(ありますが)、なぜかワルシャワは 戦争を身近に感じる町でした。
そうそう、ワルシャワにはこれまで訪れた様々な観光地の中で 少し変わっている印象を受けました。
ワルシャワには お土産らしいお土産屋さんや観光客向けのお店がないんです。
ガイドブックに載っているようなストリートは一通り歩いたつもりでしたが、私が行動したエリアに お土産屋さんがなかっただけかな?
ものすごく普通の都市って感じ。
たまたまの猛暑や雨で 露天が出てなかったのかもしれない・・・。
いつもどこに行に行っても あまりお土産は買わないタチですが、お土産屋さんを覗くのは嫌いではありません。
旅行してる気分にもなるし、世界中の都市でありふれた 同じようなお土産を見るだけでも楽しいし、時間つぶしにもなる?!
観光地ってっ”観光客からお金落としてもらってなんぼ” だと思いますが、ワルシャワには今のところ そんな”欲”はないのかな~?と感じました。
猛暑(冷房のあるお店も限られてたなぁ)と に日本帰国直後の為の時差ボケで 食欲もなく、あまり飲めず あまり食べれず、お土産もほぼ買わず・・・暑さ対策に”水”ばかり買っていました。
ミネラルウォーターのペットボトルを買うことに 一番 労力とお金を 使ってたかも(笑)!?
結局(自分の)お土産は、ショパンのCD と これだけ・・・クラクフで買ったポーランド食器(ブログ冒頭の写真)。
ポーランド食器は ワルシャワでもっと出会うのかな?と思い クラクフでは買い控えてしまったけど(暑くてお店に長居できなかったという理由もある)、もっと買えばよかったなぁと思っています。
前半の猛暑と この日の雨で 旅行中は写真もあまり撮らなかったし、手元にはほとんど何もないけど・・・想い出はいっぱいです。
« アンダーグラウンドはワンダーランド=2= Summer2013 | トップページ | 垣間見たポーランドのお花と文化・・・Summer2013 »
« アンダーグラウンドはワンダーランド=2= Summer2013 | トップページ | 垣間見たポーランドのお花と文化・・・Summer2013 »
コメント