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2013/11/29

ポインセチアの新しい世界・・・IPM2013

夏休みレポートが終わったら・・・いきなり”クリスマス”です?!

遅れ?を取り戻さなくてはなりません。

急ぎましょう!!

そこで・・・ものすご~く さかのぼりますが!?

時は 2013年1月22~25日、場所は ドイツ・エッセンEssenにて開催されたIPM国際園芸見本市。

今回ブログでは IPM会場で見た まさに今にぴったりの クリスマスデコレーションをご紹介します。

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そこでは クリスマスの代表的なプランツ『ポインセチア Poinsettia/Euphorbia pulcherrima』のプロモーションが行われていました。

ポインセチアを使ったクリスマスデコレーションの提案です。


ヨーロッパでは(オランダでは) 日本のクリスマスシーズンの流通量に比べたら ずっと少ない流通量に感じるポインセチア(データを調べたわけではありませんが)。

オランダのお花屋さん時代に オランダでのポインセチアの取り扱いの難しさを実感しました。

外が氷点下になるような極寒のオランダのクリスマスシーズン・・・寒さに弱いポインセチアの管理は本当に大変!

当時 私の勤めていたお店では 24時間 室温を16度設定にしていたものの 夜間は冷えますし、ポインセチアをそのまま お店のどこかに置くと 寒さ(冷たさ)で しおれてしまうのです。

その対策に 鉢の下や鉢の中に 発泡スチロール等を敷いたり詰めたり、ラッピング資材を巻いたり・・・

入荷した日に売り切らないと、ポインセチアがお店で夜を越すのは大変でした。

お花屋さんから お客様のお宅に無事に持ち込まれれば、セントラルヒーティングで 寒さは回避できますが、今度は ”強敵!ヒーターによる乾燥”が 待っています。

そんな状態なので、私が働いていたお店では、”クリスマスだから”と言って ポインセチアを大量に入荷することはありませんでした。

オランダの気候や環境で ポインセチアを長く楽しむのって難しいんじゃないかな・・・。

とはいえ、そんなことを感じて過ごしていた頃から早10年!、その後はいろいろ改良され 寒さや乾燥に強くなってきていることを願っています。


さて 前置きが長くなりました、IPM会場へ戻りましょう。

ポインセチアは別名を”Christmas Star” ともいいます。

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クリスマスの定番であり クラッシックなイメージの強いポインセチアですが、今や 新種やスペシャルカラーが革新的に改良されてきています(寒さに対しては分かりませんが)!!

日本のポインセチア市場の方が賑やかで 品種の改良も進んでいるとは思いますが・・・、IPM会場の提案は クリスマスシーズンのデコレーションのアイデアの 参考になると思います。

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モダンなインテリアにポインセチア・・・

同系色で合わせるポインセチア・・・

ビビッドカラーでカラフルに合わせるポインセチア・・・

ソフトでアンティークな色調で合わせるポインセチア・・・

異素材と合わせるポインセチア・・・

従来のクラッシックなイメージを取り払って 新しい世界が広がりそうです!

今年のクリスマスは ポインセチアを主役にしてみる?

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2013/11/25

垣間見たポーランドのお花と文化・・・Summer2013

2013年夏『東ヨーロッパ世界遺産の旅』、今回は”お花から見たポーランド”について。

「オランダのお花ブログ」としては、ポーランドの”お花”について語るまでは終われない と思っていたので、これでついに!やっと最終回です。

Poland201308bl01_2今回の旅では お花についての情報を探していたわけでもなく、お花屋さんを見て周ったわけでもありませんが、目や気持ちは どこにいても いつも”お花”を追っています。

お花を通してその国の文化やスタイルを知るには、じっくりその地で生活をして、じっくりその土地の人々と接してみなければわかりません。

旅行中にチラッと見ただけで 理解できるわけもありませんが、オランダとの違いや感じたことはたくさんありました(もちろん日本とも)。

そんなチラ見のポーランドの”お花”について まとめてみたいと思います。


まずは 古都クラクフKrakówで見たお花達。

私が滞在した時は、数十年ぶりの異常気象で連日40度近い猛暑でしたので、通常の様子とは違うかもしれませんが・・・

毎日夕方(夜)になると(正確な開店時間は未確認ですが)中央広場に何軒も!出現したお花の屋台。

ブログ冒頭の写真もクラクフの屋台のお花屋さんです。

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平日夕方7時頃の様子、こんな屋台が何軒も!

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この日は金曜日の夜だったからなのか、夜10時頃もまだ屋台がでていました!

ちなみに私がクラクフで過ごしたのは 平日(水・木・金曜日)夜。

しかもあの暑さの中!

オランダのように、ストリートに面した家々の窓に 生花が飾られているわけでもないし、レストランやカフェのテーブル一つ一つにお花が飾られているわけでもなかったクラクフ(テーブルにお花が飾られてるお店もありました)。

オランダのように お花を抱えて歩く人に出会うこともなかったクラクフ。

いったい誰が何のためにお花を買うのだろう?

そこで私は考えました。

カトリックの国ポーランド、きっとお墓にお花を 頻繁にお供えするのが習慣なのではないかと・・・。


そしてところ変わり ワルシャワWarszawaで見たお花達。

旅行後半、クラクフからワルシャワへ戻り 滞在していたのは週末(土~月曜日)。

土曜日、残念ながら雨でしたが たくさんの結婚式に出会いました。

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あちこちの教会やホテルや施設の前では、お花で飾られた車を 何台も見かけました!

Poland201308bl11左の写真は 旧王宮のそばにあるポーランドで最も著名な教会の一つといわれる聖アンナ教会Kościół św. Anny。

厳粛な雰囲気で結婚式が行われていました。

教会の内装がものすごく豪華です!

教会の入り口は(私も含め)ツーリストの人だかりができていました。


この雨の土曜日、結婚式やパーティに参加するであろう服装の人々も ストリートのあちこちで 見かけました。

オランダと違う!と思ったのは 結婚式やパーティへ向かう人達の服装。

オランダは(人によるのかもしれませんが)日本に比べると ラフな(カジュアルな)スタイルで参列する人も多いのですが(オランダで見た私の過去の経験から)、ポーランドの結婚式・パーティは オランダよりも 気合が入っている?きちんとしている?ようでした。

パーティへ向かうポーランドの女の子達の服装は、日本の結婚式のパーティのような感じ。

そこで私は思いました。

日本のことは別として、カトリックの国ポーランド・・・結婚式のスタイルも プロテスタントが多いオランダとは違うのではないかと!?

全くの私の想像で 宗教が関係あるのか分かりませんが、気になる違い・・・。

こんな感じで通りすがりのチラ見で垣間見たポーランドのお花文化と習慣。

旅行に出かけた時の楽しみ方には・・・観光地巡り・名物料理・現地ビールやワイン・人々・お土産・・・いろいろあります。

旅行中 異国で お花を通して見えてくる 文化や習慣の違いの観察も とても楽しいと思います。


最後は、ワルシャワ滞在時(ポーランド旅行6日目)に路線バスに乗って出かけた ヴィラヌフ宮殿Pałac Jana III Sobieskiego w Wilanowie。

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17世紀末、当時のポーランド王が建てたバロック様式の夏の離宮。

観光バスも 観光客もいっぱい訪れる、ワルシャワの人気の観光名所です。

宮殿内は肖像画や当時の調度品が展示された博物館となっており、一部屋一部屋 趣の違うインテリアに魅了されつつ、 ”どこまで続くの~” と宮殿内の 見た目以上の広さには驚きました。

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上の写真は公開されていたお部屋の一つ、そう!デルフト焼きのタイル貼りのお部屋。

いつ頃の時代ものか忘れてしまいましたが、ゴールドの入っている豪華なオランダのデルフトタイルです。


さて、私の本当のお目当ては 宮殿の周りに広がるお庭散策。

池やバラ園もあるフレンチガーデンです。

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近くに住んでいたら、日ごろから気軽にお散歩に通いたくなる 程良いサイズのガーデンと森林。

お庭の写真を撮りながら、一眼レフをホテルに置いてきてしまった事を 初めて後悔。

この日こそ 一眼レフDAYだった・・・・

ポーランドでは猛暑で連日バテていたので、一眼レフを持っていても写真撮ることができず、途中からは持ち歩くこともなくなり・・・。

この日も暑い日でしたが 気温は平均的な24度・・・ヨーロッパらしいさわやかな青空と暑さ・・・カメラ日和だったのに~。

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咲いていたお花の種類や雰囲気は オランダと同じような感じで、やはりポーランド旅行中の猛暑が異例だったということがわかりました。

宮殿のフレンチガーデンのさらに奥には・・・見て!何これ!!

光の感じが モネやルノワールの絵画の世界じゃない??

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ポーランド旅行の前まで 長い間イメージしていた ”ポーランドのグレイの森”には出会えなかったけど(9月13日ブログ参照)、ポーランド旅行の最後に 自然にたっぷり囲まれた気持ちのよい癒しの時間を過ごすことができました。


ポーランドのお花も自然も満喫したところで Summer2013レポート おしまいです。

8月の夏休みレポートがなぜか!11月末までかかりましたが、最後までご覧いただきありがとうございました。

宮殿のお庭の写真の中に私も登場していましたが、分かりました?

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2013/11/20

雨のワルシャワ散歩・・・Summer2013

まだ続いています!Summer2013レポート、ポーランド5日目~最終日(7日目)は 再びワルシャワWarszawaです。

古都クラクフKrakówから 数日ぶりにワルシャワ戻ると、とても”都会”に感じました。

街並みはもちろん、いろんな意味での”都会”です(10月20日ブログ参照)。

Poland20130805ポーランドでの夏休み・・・想像を超える猛暑からの疲労と、クラクフでの思いがけない充実感で、ワルシャワに戻ってからは 見たいものも やりたいことも 特になくなってしまいました?!

だから ちょっとだけの市内散策です。

ポーランド・ワルシャワ初日は地下をさまよったり(9月17日ブログ参照) 猛暑の中歩いただけ(9月21日ブログ参照)?!で、ろくに街並みを見ることもできなかったので あらためて。


ポーランド旅行5日目、クラクフから電車で移動し ワルシャワへ到着したこの日は雨。

初日のカンカン照りのワルシャワと同じ町とは思えないほど、駅の地下からの出口から覗き見たワルシャワの町は 滝のように降る雨でかすんでいました。

前日まで37-38度だった気温は いっきに 20度くらいまで(夜は16度)下がり 過ごしやすくなりましたが、ちょっと降りすぎ・・・加減が難しいですね。


その後 小雨になり ワルシャワ歴史地区へお散歩へ出かけました。

世界遺産ワルシャワ歴史地区には「旧市街」エリアと「新市街」エリアがあり、町が発展した時代が異なります。

「新市街」エリアは初日にも歩いたエリアで、ワルシャワがポーランドの首都になってから栄えたエリア。

”新”といっても 16世紀からの歴史のあるエリアです。

「旧市街」はクラクフから遷都されるまでの時代の町の中心エリア。

旧市街にはバルバカンがあります(下結合写真)。

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珍しい円形タイプの砦・要塞はクラクフにもありました(前出の10月20日ブログ参照)。

ワルシャワ「旧市街」も城壁都市だったようで、バルバカンを中心に城壁が連なっていました(下結合写真)。

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ちなにみ「新市街」も「旧市街」も 第2次世界大戦で破壊され、戦後に復元されています。

当時の建材料や工法で 元通りに復元されたとしても、”復元されたもの”は やはり ”復元されたもの”に見えてしまいます。

昨年夏休みにはドイツ・ドレスデンで 同様のことを感じました(2012年9月19日ブログ参照)。

”戦争で失われたものはもう2度とは元に戻らない・・・”ということを、皮肉にも 復元された町や建造物から感じます。

「旧市街」の旧市街市場広場は、古い建物・レストランやカフェにびっしりと囲まれた”ヨーロッパの旧市街の広場”らしい広場。

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上結合写真:旧市街市場広場、周りにはカフェやレストランが連なる

写真真ん中は”ワルシャワ”の名前の由来となったという人魚のストーリーにちなんだ人魚像

ヨーロッパらしさを感じるのはアムステルダムと同じように細くて縦長の家々が連なっているからかな~。

晴れの日だったら 家々のカラフルな色がもっと映えて、きれいで印象的だったかもしれないですね・・・残念。

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上結合写真:まるでフラワー・プランツマーケット?お花いっぱいの旧市街市場広場のカフェ

残念ながら、私がここを訪れた日は雨だったので、あまりにぎわってはいませんでしたが、普段は地元の人々や観光客で埋め尽くされているのでしょうね。


旧市街広場の少し先の家々の軒の並びに キュリー夫人博物館Muzeum Marii Sklodowskiej Curie(キュリー夫人生家)は ひっそりとありました。

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上結合写真:キュリー夫人博物館

マリア・スクウッドフスカ=キュリーMaria Skłodowska-Curie(1867-1934) もポーランド・ワルシャワ生まれなんですね。

子供の頃 伝記を読んで憧れたキュリー夫人。

子供の頃に飾った キュリー夫人の小さな写真が 今でも実家の私の部屋にあります(本当に憧れてたんですね~)。

放射性元素の発見で 夫妻でノーベル物理学賞受賞(1903)、ラジウムの性質およびその化合物の研究において単独でノーベル化学賞受賞(1911)。

放射能radioactivityという用語は彼女の発案によるものだそうです(Wikipedia参照)。

博物館といっても さほど目立たない軒並びの家の一軒に ひっそりとその入口はありました。

ここかな~?と入口を入り 階段をのぼって行くと 扉(上結合写真左)がありました。

そのフロアの数部屋が博物館となっており、キュリー夫人の研究に関わる資料や写真や所蔵品が展示されていました。

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物理・化学関係の方々から見ると 貴重な品々の宝庫かもしれません(上結合写真もその一部)。

アインシュタインAlbert Einstein(1879-1934)と一緒に写っている写真も ありました!

戦中、アインシュタインからアメリカ・ルーズベルト大統領への助言が 原爆のきかっけになったと言われています。

博物館出入口に備えてあったメッセージ帳に目を通すと、世界中の訪問者から 彼女の偉業をたたえるメッセージや、物理や化学に携わっていると思われる方々からの 尊敬や(この分野の道を開いた)お礼の言葉があふれていました。

平和を願う言葉も いくつも添えられており、ウルッときました。

私がこの博物館を訪れたのは 長崎原爆の日の翌日の8月10日。

そして現在進行中の課題である福島問題・・・は 日々頭を離れることはありません。

放射性物質は その後 新たな分野として革新し・・・、負の兵器や 制御不能の原子炉が誕生しました。

人類にとって”幸”をもたらすはずの放射性物質は、キュリー夫人の希望に反し 使い方次第では”不幸”ももたらす・・・。

キュリー夫人がもし現在の世界を見たら どのように感じるのだろう・・・。

キュリー夫人博物館の窓越しに静かに降る雨に・・・キュリー夫人の涙を見たような気がしました。


ポーランドはいろんな歴史に触れることができる国です。

Poland201308w26次は、旧王宮へ(左写真右の赤い建物)。

16世紀末にクラクフから遷都したポーランド王ジグムント3世の居城として建造。

旧王宮前のワルシャワ王宮広場にはジグムント3世像(左写真・別の晴れの日に撮影)が ワルシャワ市内を見渡すようにたっています。

当時はヨーロッパで最も美しい宮殿の一つと言われた王宮でしたが、やはり第二次世界大戦時、徹底的なナチス軍の攻撃・爆破により破壊されました。

1988年に復元が完了したそうです。

破壊される前に国外に持ち出された豪華な調度品・家具類は 難を逃れ、現在は復元された旧王宮内に戻され、博物館として公開されています。

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上結合写真:豪華絢爛な旧王宮内(一部)

旧王宮が爆破・破壊されるシーンは、この夏のポーランド旅行中に イメージ映像や資料・写真等 様々たくさん目にしました。

戦争は 日本も含め 世界中でありましたが(ありますが)、なぜかワルシャワは 戦争を身近に感じる町でした。


そうそう、ワルシャワにはこれまで訪れた様々な観光地の中で 少し変わっている印象を受けました。

ワルシャワには お土産らしいお土産屋さんや観光客向けのお店がないんです。

ガイドブックに載っているようなストリートは一通り歩いたつもりでしたが、私が行動したエリアに お土産屋さんがなかっただけかな?

ものすごく普通の都市って感じ。

たまたまの猛暑や雨で 露天が出てなかったのかもしれない・・・。

いつもどこに行に行っても あまりお土産は買わないタチですが、お土産屋さんを覗くのは嫌いではありません。

旅行してる気分にもなるし、世界中の都市でありふれた 同じようなお土産を見るだけでも楽しいし、時間つぶしにもなる?!

観光地ってっ”観光客からお金落としてもらってなんぼ” だと思いますが、ワルシャワには今のところ そんな”欲”はないのかな~?と感じました。

猛暑(冷房のあるお店も限られてたなぁ)と に日本帰国直後の為の時差ボケで 食欲もなく、あまり飲めず あまり食べれず、お土産もほぼ買わず・・・暑さ対策に”水”ばかり買っていました。

ミネラルウォーターのペットボトルを買うことに 一番 労力とお金を 使ってたかも(笑)!?

結局(自分の)お土産は、ショパンのCD と これだけ・・・クラクフで買ったポーランド食器(ブログ冒頭の写真)。

ポーランド食器は ワルシャワでもっと出会うのかな?と思い クラクフでは買い控えてしまったけど(暑くてお店に長居できなかったという理由もある)、もっと買えばよかったなぁと思っています。

前半の猛暑と この日の雨で 旅行中は写真もあまり撮らなかったし、手元にはほとんど何もないけど・・・想い出はいっぱいです。

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2013/11/16

アンダーグラウンドはワンダーランド=2= Summer2013

Summer2013レポート・・・ ポーランド4日目(クラクフ3日目)。

世界遺産ヴィエリチカ岩塩坑Kopalnia soli Wieliczkaから クラクフKrakówに戻り、またまた地下のお話です。


Poland201308k21ヴィエリチカ岩塩坑半日ツアーを終え、クラクフの中央広場で 遅めのランチ(with ビール!・左写真)を楽しんでいると・・・

とうとう雨!!!

ポーランドでは毎日猛暑続きで 本当に大変だったので、恵みの雨です。

バンザ~イ!

ランチ後、雨も降っていることだし・・・と行ってみたのが 地下博物館Podziemia Rynku。

クラクフ旧市街・中央広場の真ん中にある14世紀建造のルネッサンス様式の織物会館Sukiennice(上写真右側の建物) の地下にある 博物館です。

2010年にできたというこのハイテク博物館は、人気のスポットで とても 混んでいます。

チケットを買いに行くと、その時の 待ち時間は約1時間。

ですが、1時間の待ち時間を 並んで待つ必要はありません。

チケットに記載されている時間に入口に行けばよいのです。

待ち時間の間、中央広場にある聖マリア教会を見学したり、カフェでお茶したり・・・時間は有効に使えました。

(クラクフ旧市街については10月20日ブログ参照)


この博物館がここにできた経緯が興味深い!

2005年 中央広場の地下調査の為に掘っていたところ、中世時代の建造物跡やお墓や遺骨等が出てきたそうです。

クラクフは 昔から洪水や大火の被害にあい、町を再建してきたそうです。

つまり、大昔にあった町の上に 現在の町ができたということです。

そして出てきた遺跡をそのまま残し、地下4m地点の4000㎡もの考古学的な博物館となりました。

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上結合写真左:中央広場にある聖マリア教会St. Mary's Basilicaと、その手前左に見えるのは噴水のピラミッド

上結合写真中:地下の歴史博物館内にあった中世のクラクフの模型、一番手前にバルバカンもありますね

上結合写真右:中世の模型の真上にはガラスの三角形の窓、そこから外の風景・聖マリア教会が見える・・・この三角形の窓こそが広場の噴水のピラミッド!


入場まで待ち時間がありましたが、内部は人がごった返しているわけでもなく、広々としていました(だから人数制限してるんですね)。

博物館前半は 3Dや映像システム等で楽しめる体験型の展示となっていました。

中盤は 地下に埋もれた遺跡を見ることができるコーナー(お墓やご遺骨まで!)。

最後は 様々な時代のクラクフ関連の映画仕立てのビデオや資料ビデオが流れる いくつかのお部屋が並ぶコーナー。

どのコーナーも それぞれ楽しかったです。

ビデオのコーナーで観た 一人の女の子の生い立ちを紹介した 映画仕立てのビデオからは ”へぇ~”という発見も。

世界初のビューティーサロンを開いた クラクフ出身の女性(1870~1965)・・・彼女の名は・・・

ヘレナ・ルビンスタインHelena Rubinstein!

へぇ~~~!

彼女もポーランド・クラクフ出身だったのね!

クラクフの地下博物館は、これまでの考古学博物館とは違い 最先端の映像技術等による 視覚や肌で感じながら楽しめる展示で、とても分かりやすくてよかったです。

情報が少なかったクラクフの歴史や地理について 少しは知ることができたと思います。

予想以上に楽しかったクラクフのアンダーグラウンド、まさにワンダーランド!!

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上結合写真左・右:中央広場の噴水のピラミッド

上結合写真中:中央広場の真ん中にある織物会館Sukiennice、ここに歴史博物館入口があります


Poland201308k22様々な歴史を超えて・・・

そんな歴史にも地理にも人々にも・・・ロマンを感じずにはいられないクラクフです!

最後の写真はクラクフ本駅Kraków Główny 。

バイバイ!クラクフ・・・またいつか・・・

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2013/11/12

アンダーグラウンドはワンダーランド=1= Summer2013

まだ続いています!Summer2013レポート。

今回は ポーランド4日目(クラクフ3日目)の地下体験レポートです!?

クラクフKrakówで宿泊していたホテルで紹介された いくつかのショートツアーから選び 申し込みました。

ヴィエリチカ岩塩坑Kopalnia soli Wieliczka半日ツアー。

ツアーに申し込まなかったら電車で行こうと思っていました(クラクフから片道15分程)。

Poland201308u01ヴィエリチカ岩塩坑はユネスコ世界遺産(1978)に登録されています。

”岩塩坑”といえば・・・2005年に開催された愛・地球博(愛知万博)のポーランド館で見ました!

あの時見た ”岩塩坑” がポーランドのものだってことは すっかり忘れていましたが、記憶にあります!

クラクフから南東に約15キロのところにあるヴィエリチカ。

1250年頃から1996年(閉坑)まで700年以上稼働していた岩塩採掘場です。

中世にはポーランドの財源の3分の1を担ったそう。

アリの巣のように張り巡らされた大きな岩塩坑(東西5.5Km x 南北0.5~1.5Km、地下64~327mにある300Km以上の坑道)は保存され、その一部 地下64~135m地点の2.5Kmの坑道(全体の100分の1程)が公開されています。


当日朝 ツアーのミニバス(バン)が ホテルまで迎えに来てくれました。

このミニバスは いくつかのホテルへ寄って ツアー参加者をピックアップしながら、目的地へ向かいます。

道中、バスの中では自己紹介も目的地の説明も 特になく、送迎バス的な感じでした。

多少交流がある方が楽しいですが、交流なしも気軽でよいかな。

約30分くらいだったでしょうか、目的地へ到着。

駐車場から見た印象は 自然がいっぱいのきれいな公園のような施設。

施設の入口まで行き(下結合写真右)、ドライバーさんから今後の予定の説明を受け、ヴィエリチカ岩塩坑のガイドさんへバトンタッチ。

岩塩坑内部へは全ての観光客は ガイドさん付きツアーでの入場。

様々な言語別で20~30人ほどのグループになって 坑内を歩くようです。

ガイドさん付きでも とても混んでいて、たくさんのグループが 暑い日差しの中 入場を待っていました。

この日は天気が崩れる予報でしたが まだ晴天、気温は前日までより少し下がり33度(でも暑い!)。

岩塩坑内部は14度と聞いていたので、とにかく一秒でも早く中に入りたい気持ちを抑え・・・、炎天下 30分程 待ちました。


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内部に入ると、まずは 延々と・・・延々と・・・階段をおりました(上結合写真左)。

まずは地下約60メートル地点まで(段数の説明がありましたが 覚えられず・・・)。

足や体調の悪い方、緊急事態等の為に エレベーターも ちゃんとあるようでした。

閉所恐怖症気味で、地球内部恐怖症!?気味の私は、自分のいる地点を考えるとパニックになりそうだったので?!地球内部にいることは考えずに階段を降り続けました。

階段を降り終わると、いくつかのお部屋の空間と通路が どこまでも続いていました。

空間(お部屋)毎に 木製の大きなドアがあり(防火や空調のため)、様々な展示やデコレーションのある一部屋一部屋を 説明を聞きながら進んでいきました。

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上結合写真は洞窟のようなお部屋と地下通路、塩の結晶が白く湧き出し、ツララのようになっているものもありました。

塩って湧いてくるんですね、不思議!

内部通路はきれいに整備されていて 薄暗い中をルートに従って進んでいくのですが、私達観光客にとっては完全に”迷路”!

ですが、ガイドさんや働いている人達は慣れた様子でした(当たり前!)。

どこをどう歩いたかさっぱりわかりませんが、約2時間!歩きました。

結構な距離だと思いますし、地中に2時間も滞在した経験が かつてあったでしょうか!?

一番低い地点は地下135mでした!

約2時間の岩塩坑ツアーでは、様々な展示や説明から ポーランドの歴史や習慣も伝わってきました。

ガイドさん達は皆 とても訓練されているガイドさんで、エンターテイナー。

そう、ディズニーランドのアトラクションキャストさん達みたいな。

まさにここ ヴィエリチカ岩塩坑は、自然の中のワンダーランド!

まるでディズニーランドのような エンターテイメントパークでした!

写真からは残念ながらその大きさ・規模が伝わらないと思うのですが、鍾乳洞の内部を すごく大きくしたような・・・いや、それこそ ディズニーランドのアトラクションの内部のような感じです。

岩塩坑内には大きな塩湖があったり、塩でできた礼拝堂があったり、大きなホールがあったり。

当時の仕事の様子や 労働者さん達の様子が再現され展示されているお部屋もありました。

かつては 馬 もこの岩塩坑内にいて、運搬の力になっていたそうですよ。

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上の写真はヴィエリチカ岩塩坑のハイライト!

聖キンガ礼拝堂、地下101.4mの深さにある塩でできた大ホールです。

フロア(下結合写真左)も壁も、デコレーションも・・・(木製の手すり・柵以外)何もかも 塩でできています!

ブログ冒頭のシャンデリアの写真もここから、塩でできています。

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上結合写真左:ツヤツヤテカテカの聖キンガ礼拝堂の塩のフロア

上結合写真中:記憶に新しい ポーランド出身(クラクフ近郊の町の生まれ)の教皇ヨハネ・パウロ2世John Paul II(1920~2005) の 塩像

上結合写真右:観光客で混みあう聖キンガ礼拝堂

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上結合写真:聖キンガ礼拝堂の壁のデコレーションや、ヴィエリチカ岩塩坑内にある別の礼拝堂等

地下の世界ににいることなんて忘れてしまいそうです!

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上結合写真左:ヴィエリチカ岩塩坑内の表示の看板、この看板の地点は地下130m

上結合写真中:ヴィエリチカ岩塩坑内にはいくつかの塩湖がありました、かなり深くて大きいです!


最後は 鉄柵のカゴが5~6階層になっている 細く狭いエレベーターで 地上へ。

上結合写真右の写真はそのエレベーター、地上地点・降り口で撮影したもの。

乗って初めて エレベーターの形状がわかり、足の下にも 頭上にも 人が乗っていることに気が付きました!

乗るまでは見えなかったエレベーターの全貌!

風をきりながら ガガガーって ちょっと振動を感じながら すごい勢いで地上へ上がりました!

閉所恐怖症の私は、鮨詰め状態での乗った この最後のエレベーター(5・6人乗り)が一番 怖かったかも~(笑)。


地下135mの世界から地上へ戻ると、身体が冷えていたためか、暖かい空気と 自然の香りに なんとなく安心感を覚えました。

そこで気が付きました!

岩塩坑内部は、まったく・・・”無臭”でした。

想像してみても、あんなに狭い通路や大勢の人々の出入り、塩湖など水もあり、何かしら匂いやカビ臭さがあってもよさそうですが、気持ちが良いくらい(悪いくらい!?)無臭でした。

初夏の花粉症の名残で喉を痛めていた私は(6月16日ブログ参照)、岩塩坑内の空気が とてもまろやかで心地よく感じました。

ヘルスリゾート地でもあるヴィエリチカ・・・なるほど 岩塩坑は療養にもよさそうです。

世界遺産ヴィエリチカ岩塩坑・・・半日満喫した自然のワンダーランドでした!

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2013/11/09

クリスマス! アールスメーヤレポート2013年10月

11月6~8日、オランダでは IFTF&IHTF(花と園芸のトレードフェア)が開催されていましたね。

関係者の皆様 オランダへ行かれている方も多いでしょう。

私は・・・日本です、残念。


・・・さて、気を取り戻して!?今年最後のアールスメーヤレポートです。

このまま年末まで日本滞在予定なので、今年最後です!

今回はアールスメーヤ花市場の問屋さん街にある資材・雑貨仲卸さんのテーマハウスから。

この資材・雑貨問屋さんに並ぶ季節の商品でデコレーションされています。

Ws1310xmas0110月中頃から展開されているのは、もちろん・・・『クリスマス』 !!

デコレーションを手掛けたのは オランダフラワーデザイナーPetra van der Veen氏です。

デコレーションの中で使われてるプランツ(鉢)はファレノプシスやシクラメン・・・生花です。

最近はアーティフィシャルフラワーも デコレーションに使われることが多くなったオランダですが、私はやっぱりフレッシュが好きです。

特にクリスマスデコレーションの中にフレッシュフラワーがあるとデコレーションが一層 映えますよね!!

今年のこのテーマハウスのクリスマステーマは3つ。

この問屋さんオフィシャルサイトの解説を参考にしつつ、私の感想を加えて書いています。


『Sparkling Pastels』

パステルカラーのクリスマス!

ブログ冒頭の写真もこのコーナーから。

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たくさんのパステルカラーを使って グラマラスな雰囲気に仕上げています。

様々な素材(ガラス・メタル・陶磁器・プラスチック・木材・布等)何とでも相性のよい パステルクリスマスです!

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デコレーションの中の生花が 生々しく?!フレッシュで素敵です!!


『Flora Nature』

パステルのコーナーからはガラリと雰囲気がかわり、シックなダーク系カラーのクリスマスです。

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同色系でまとめて落ち着いた雰囲気。

色だけでなく、アニマル系と合わせて個性的に!

このデコレーションでは鳥(クジャク)の羽根がポイントになっています。

ダークカラーを同色系でまとめ、ポイントにアニマルを用いる・・・一見難しそうですが、ナチュラル素材・陶器・ガラス等・・・様々な素材と相性はよさそうです。

”和”っぽくも見えますねぇ。


『Pure & Light』

ナチュラル素材を中心に ”白”で統一した オーガニックなイメージのクリスマスです。

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クリスマス伝統的な”白”や”ナチュラル”というキーワードを モダンにアレンジした新しい世界。

アクセントカラーを用いない分 素材の特徴が強調され、新しい世界が広がりますね。


最後はアールスメーヤ花市場問屋さん街のプランツ仲卸さんの雑貨コーナーのクリスマス。

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こちらはマルチカラーのクリスマスです!


皆様はどのクリスマスが好きでしたか?

クリスマスまで一カ月半、テーブル・壁・空間を飾って クリスマス気分を盛り上げていきましょう!

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2013/11/05

未来へのベクトル・・・アウシュヴィッツ強制収容所 Summer2013

Summer2013レポート、ポーランド3日目(クラクフ2日目)は、世界遺産 アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所Das Konzentrationslager Auschwitz-Birkenau 見学です。

ポーランドがナチス・ドイツに支配されていた第2次世界大戦中(1940~1945)、労働力の確保のため、また労働力とならない女性・子供・老人・劣性民族を処分する施設として造られたアウシュヴィッツ強制収容所。

Poland201308aw10アウシュヴィッツ第一強制収容所は、クラクフから西へ約54キロ、ポーランド南部の都市オシフィエンチム市Oswiecim(ドイツ語名アウシュヴィッツ)に、第二強制収容所は 隣接するブジェジンカ村(ドイツ語名ビルケナウ)にあります。

モノビツェ村(ドイツ語名モノヴィッツ)には第三強制収容所もあり(現存しない)、また周辺にはいくつも同様の施設があったそうです。


元々はポーランド人の政治犯を収容していたこの施設も、次第に ユダヤ人・ロマ(ジプシー)・障害者・ソ連軍捕虜など。

ヨーロッパ中から収容所に送られてきた人が皆 収容されたわけではなく、選別により、また選別なしに・・・そのままガス室に送られた人も大勢いたそうです。

当時のその様子をうかがい知ることのできる写真も 博物館にはありました。

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上写真もその一部、右写真はヨーロッパ各地からビルケナウへ移送列車で送り込まれた大勢の人々、左写真は「あなたは右へ、あなたは左へ・・・」と選別する様子

資料によると、1944年~1945年の間に130万人がアウシュヴィッツに送りこまれ、そのうち110万人が殺されたそうです。

同様のことがヨーロッパ中にあった(アウシュヴィッツ以外の)施設でも行われ、犠牲者は250万人(そのうち80%以上がユダヤ人)を超えるそうです。

Poland201308aw11生き延びたとしても、心理的抑圧、連帯責任、見せしめ、恐怖心などによりコントロールされていた強制収容所内の生活・・・。

どちらも想像を超える現実です。

入口には「働けば自由になる」と掲げられた門があります(左写真)。

ここを潜ったら 2度と自由になんてなれなかったのに・・・。


アウシュヴィッツ博物館(収容所跡地)には、当時のままの建物が整然と並び、当時 植えられたというポプラの木々が成長し 緑の葉を茂らせていました(ブログ冒頭の写真、下の結合写真など)。

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まるで閑静な住宅街のように整然と並ぶきれいな建物の外側には、当時は 高圧電流が流れる有刺鉄線が張り巡らされていました。

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上写真左は 「死の壁」と呼ばれる銃殺に使われた壁

上写真中は ガス室で使われた劇薬チクロンBの空き缶の山、20万キロも使われたとか

上写真左は ガス室の煙突、この内部も見学しました・・・


収容所跡地・館内には、たくさんの資料や当時の写真が展示されていました。

収容所に連行された人々の 没収された持ち物等の現物も 展示されていました。

衝撃的だったのは、髪の毛。

この髪の毛のコーナーは 写真禁止でした。

大きな部屋の 水族館のような 壁一面のガラスの奥に うずたかく積み上げられたものすごい量の髪の毛・・・.。

アウシュヴィッツでは収容される際に 老若男女 丸刈りにされたそうです。

グレイやチャコールグレイの髪の毛は、お一人お一人のものと判別できる感じで それぞれなんとなく 束・かたまりになっていて、それが山のようになっていて・・・ ・・・ ・・・震えました。

髪の毛は 布やカーペット等の織物の原料として利用されたそうです。

資料や写真の展示とは違うリアルさです。

他にも 収容されていた人々がこれまでの人生で日常に使っていたメガネ、クシ、歯ブラシ、靴、義足や義肢・・・どれも数えきれないほどの量が ガレキの山のように積み上げられていました。

山に埋もれた一つ一つの愛用品は、収容された人々や 命を奪われた人々に それぞれの人生があった証・・・。

残酷です。

さらに たまらなかったのは・・・大量のトランクの展示。

それぞれのトランクの表面には、大きな文字で住所と名前が書かれていました。

トランクは収容される際に 名前と住所を書かされ 没収となったもの。

これまでの生活を切り上げ、限られた量の身の回りの物だけをトランクに詰め、この地に連行され、その後のことを知っていたのか知らなかったのか(きっと薄々気が付いていた)、それを手放す時の気持ちを考えたら・・・ ・・・ ・・・涙があふれました。

力強い文字には悔しさや怒りや不安や恐怖・・・トランクに書かれたそれぞれの文字に 一人一人の感情が宿っているようでした(涙涙涙)。


Poland201308aw12当時 収容所には赤十字国際委員会の視察団も訪れたそうですが、ナチスの思惑通り! ”意図的に”平和的に造られた整然とした収容所の光景に、まさか!内部で虐殺が行われていたことには気がつかず、止める機会を逃していたとのこと。

もしかしたら・・・薄々 気が付いていたにもかかわらず見ぬふりをしたとの説もあることを ガイドの中谷さんがお話しされていました。

写真は説明してくださっているガイドの中谷さん

”世界の流れ”や”大きな力”には、それが間違っていようと 逆らえない・・・

似たようなものが 学校や職場のいじめですね。

大きな”力”が何かをきっかけに 大きな”負の力”になる・・・。

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上写真は、アウシュヴィッツ第一強制収容所から約2キロ離れたところにあるビルケナウ強制収容所

第一収容所を見学後、シャトルバスでビルケナウ収容所へ移動し、この木造の収容所内部も見学しました

上写真中:今のも残る鉄道の線路、ここに到着する移送列車から大勢の人々がこの地を踏みました。

上写真右:こちらは第一強制収容所とは違い、収容者数が増え 建造が間に合わず木造になったようです


今 ヨーロッパは大きな統合体・ヨーロッパ連合EUとなり、様々な民族・宗教の集まりとなって 共存しています。

”思想”や”力”の使い方が 間違った方向に向かえば、この悪夢と同じようなことが起こらないとも限らない・・・。

このような経験や背景から、近年 EUでは平和教育に力を入れているそうです。

多くのヨーロッパの人々が アウシュヴィッツを訪れたり、平和教育を受けているそうです。

Poland201308aw17anneなるほど・・・アムステルダムにある「アンネ・フランクの家Anne Frank Huis」の見学者がここ数年 ものすごく増加していると思ってたんです!

左写真はアムステルダムの「アンネ・フランクの家」、観光客の列は数十メートルにも 伸びています

こういった背景があったんですね。

私はてっきり数年前のアムステルダムの世界遺産登録がきっかけなのだと思ってました(それもあるとは思いますが)。

ナチスが政権を掌握後、ドイツ・フランクフルト出身のアンネ・フランク一家はアムステルダムに亡命していました。

亡命期間の最後の2年間(1942年7月~1944年8月)に、いわゆる「アンネ・フランクの家」Prinsengracht263番地で潜伏生活を送っていました。

アンネ・フランク一家は 1944年8月 Rosengrachtでの隠れ家生活中に、ゲシュタポに見つかり逮捕され連行され・・・今回私が訪れた アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所にも一時 収容されていたそうです。

アムステルダムの「アンネ・フランクの家」は少々商業的になっている印象も受けますが、商業的になろうとも 彼女を通してこの現実が少しでも多くの人に伝われば、それは意味があることだと思います。

このような悲劇が2度と繰り返されないよう、世界中の多くの民族・多くの宗教・多くの思想を持つ人々の目指す”平和な世界”が、同じベクトルであることを願います。


アウシュヴィッツを見学後、帰りはバスではなく電車でクラクフに向かいました。

行きのバスはとても辛かったので(11月1日ブログ参照)・・・

アウシュヴィッツミュージアムから最寄りの Oswiecim駅 まで徒歩約20分、Oswiecim駅からクラクフ本駅krakow Glownyまでの所要時間は約1時間45分。

猛暑のこの日 溶けるほど暑い昼下がりの20分の距離は、とても長く 遠く感じました。

汗が滝のように流れる中、無事駅に到着。

Poland201308aw18train行きのバスとは違い(?!)きれいで安心感のある電車に乗ると(左写真)、しばらくして電車は駅でもない林の中で止まりました!

それまで優しい笑顔で車内を歩いていた車掌さん達の顔が 厳しくなりました(汗)。

しばらくして車内放送がありましたが 英語の放送はなく、何人か乗り合わせた外国人ツーリスト達が「英語で説明して」と 慌てて他の乗客に訪ねていました。

私も、知らない場所で 言葉も通じないところでのトラブルには焦ります。

どうやら電車が壊れた?ようで・・・1時間以上 そのまま停まってしまいました!!

しばらくすると、その場で一部のドアが開き、乗客が電車から降り 線路脇を歩いて 去って行く人もいました。

いつ動くのかもわからない電車・・・不安になりました。

夏の日中で 外が明るかったこと、少人数でも英語が通じる人が乗り合わせていたこと、そして冷房が効いていたこと・・・が救いでした。

たった1~2時間前、あんな過酷なアウシュヴィッツの光景を見たばかりなのに・・・私はたったこれだけの出来事で うろたえてしまいます。

アウシュヴィッツ見学中は、当時の収容された人々の気持ちを考えたり 悲しんだりして、気持ちが寄り添えているような気になっていましたが・・・電車がちょっと停まっただけで それでも ちゃんと帰ることのできる立場の私に 理解できているわけがありません。

誰も 犠牲になった方々と同じ気持ちには絶対になれない。

・・・それでも 何かを感じ 何かに気が付いて、目指す平和のベクトルが 同じ方向になるのなら、あんな悲劇は もう2度と起きないかもしれません。

そんな世界になることを 祈ります。

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2013/11/01

緑の向こうに・・・アウシュヴィッツ強制収容所 Summer2013

2013年夏『東ヨーロッパ世界遺産の旅』・・・ついにこの日が来てしまいました?!

夏休みレポートを書いていて 避けることのできない今年の旅のメインイベント。

メインイベントではありますが、思い出したくない・・・ 目を背けたい・・・ 忘れたい・・・ 想い出・かもしれない。

いえ!

一生忘れられない、忘れてはならない、考え続けなければならないこと・・・。

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ポーランド旅行3日目(クラクフ2日目)は旅行前から予定していたアウシュヴィッツを訪れる日。

負の世界遺産アウシュヴィッツ、そう あの アウシュヴィッツ です!


アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所Das Konzentrationslager Auschwitz-Birkenau はポーランド南部オシフィエンチム市Oswiecimというところにあります。

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地図はGoogleMapより、クリックして拡大してご覧ください。

ワルシャワや ベルリン(ドイツ)・プラハ(チェコ)の位置関係もわかります。

クラクフ駅東口のバスターミナルからバスで約1時間40分、アウシュビッツミュージアムの駐車場内に到着します。

前日調べておいたバス停で(10月15日ブログ参照) 8時25分発のバスを 8時頃から並んで待ちました。

バスはすでにバス停に・・・ちょっとボロい観光バスのような路線バスでした。

バスは指定席ではありません。

クラクフ駅出発時にはすでに満員、席がなく 立って乗っている人も大勢いました。

路線バスの為、途中の停留所で乗り降りする人がいましたが、ほとんどの人の目的地は同じ・・・混み具合はあまり変わりませんでした。

あのバスで・・・席がない状態で1時間40分の目的地へ向かわなければならないのは厳しいと思います。

バス停へは少し早く行って並ぶべきです!


この日、旅行前の天気予報で40度の予想が出ていた驚異的な暑さの日。

屋外を歩くだろうアウシュヴィッツ見学・・・経験した事のないような暑さは旅行前から心配でした。

この日は暑さ対策のため、ペットボトルの水と 傘(ヨーロッパで日傘をさす習慣はないから雨傘です)、そして水で濡らしたタオルを持参(もちろんサングラスや帽子も)。

そしていつもトートバッグに入れて持ち歩いていた 一眼レフカメラは、少しでも荷物を軽くしようと ホテルに置いてでかけました。

(一眼レフは結局ポーランド旅行中一度も使うことがなかった・・・暑過ぎて写真を撮る気になれず!?)

アウシュヴィッツ見学当日、予報は37-38度でしたが(40度ではなかった、ホッ!)朝から厳しい暑さでした。

バスの中は冷房はあったものの、風が座席の上の送風口から少し出てくるくらい・・・。

日が当たるガラスの暑さのほうが勝っており、目的地到着前のバスの中で 熱中症になりそうでした(汗)。

バスがボロいためか? (途中から)道が険しかったためか? ド暑かったため? 混んでいたため?・・・バスの乗り心地はあまり良くありませんでした。

”帰りもこのバスに乗るのかぁ・・・”と、朝から すでに復路の心配もしてしまうほど・・・。


アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所の見学は、ガイドブックに紹介されていたアウシュヴィッツ唯一の日本人(日本語)ガイドさん中谷剛さんにお願していました。

普段なら(半分理解できなくても!?)英語の案内でもいいかな と思ってしまいますが、アウシュヴィッツこそは日本人ガイドさんにお話を聞きたい!

国により 国民により歴史的背景は違うし、戦争に対する立場も違う。

また中谷さんはヨーロッパ在住ということで、日本贔屓?にならず、世界から見た日本を理解している方。

私はオランダに住むまで、(一言で表現するのは難しいですが)”日本は原爆を落とされた同情すべき敗戦国”だと思っていました。

オランダに住んで(一時アイルランドにも住んで)、ヨーロッパの人々と生活する中で、ヨーロッパの人々が思う日本という国・日本人像は、私が思っていたモノとは違うということを、世界から見た歴史的事実を、恥ずかしながらこんなに大人になってから 知りました。

日本人ガイドさんが、アウシュヴィッツのお話はもちろんですが、日本の立場をどのようにお話しされるのかも興味深いところでした。


中谷さんには旅行の1カ月半ほど前にメールで連絡をとり、旅行の約1か月前に ”希望日に案内していただける” との連絡をいただきました。

希望日に予約が取れなければ、旅行全体のスケジュールを変更しなくてはならないと思っていたので、鉄道やホテルの予約はしないで 中谷さんからの連絡を待っていました!

当日は他のツーリストさん達と共に 10時30分から約3時間案内していただけるとのこと。

集合場所は アウシュヴィッツ博物館の駐車場です。

当日10時過ぎ、バスはアウシュビッツ博物館駐車場のバス停へ到着。

そこは緑が生い茂り 爽やかな風景が広がっていました(冒頭の写真)。

アウシュヴィッツ博物館には世界中から大勢の人が見学にやってきていました。

日本人ツーリストも どこからともなく集まっていました。

ガイドの中谷さんのもとに この日集まった日本人ツーリストは約30名。

その中には おひとり日本語を理解されるポーランド人の女性(たぶん日本人ツーリストさんのお友達かガイドさん)もいらっしゃいました。

これから約3時間、お話を聞きながら案内してもらいます。

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写真はオーディオガイドを受け取った後、インフォーメーション・サービスセンタービルを通り抜け、収容所跡へ向かう途中。


往路バスで走って見た周辺の街並みも風景も 至って普通でした。

こんな普通のところに 世界中が震え上がるような事実があったなんて、想像もできません。

あの時、ここに連れてこられた人々は、どんな思いで この地を踏みしめたのだろう・・・。

この先の門をくぐったら、2度と戻ることのない人生が待っていたなんて・・・。

・・・ ・・・ ・・・

次回ブログへ続きます。

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