ショパンの夕べ in ワルシャワ Summer2013
2013年夏『東ヨーロッパ世界遺産の旅』がスタートしました。
覚悟を決めて猛暑の街へ・・・。
初日のホテルのあるワルシャワ中央駅周辺には ショッピングセンター等がありますが、観光となると 世界遺産に登録されている”歴史地区”へ向かうことになります。
旧市街と新市街と言われるエリアのワルシャワ歴史地区は 中央駅からは少し離れています。
初日のこの日はとりあえずワルシャワWarszawaの町の雰囲気や距離感を知ろうと 無謀にも!猛暑の炎天下の中を 中央駅そばのホテルから旧市街広場に向け 歩いてしまいました!!
気温37-38度の昼下がり・・・。
振り返ってガイドブックの地図で距離を計算してみると、ウロウロした距離も含め 約3キロ・・・観光ではありふれた距離ですが、なんせ真夏の炎天下!
(旅行の途中で知ったのですが、ちょうどこの時のこの気温・・・ポーランド全土で数十年ぶりの異常な暑さだったとのことです・・・普通は8月でも平均最高気温は25度以下だそう・・・)
ワルシャワでこの道のりを歩いたのは最初のこの一回限りです・・・本当に暑くて大変でした(大汗)。
この日の帰りは旧市街広場あたりから駅前まで バスを利用。
歩くと遠いのですが バスならすぐです。
旅行後半にもワルシャワで2泊しましたが、その時の移動も バスを何度も活用しました。
ワルシャワはバスやトラムがたくさん走っているので活用すべきです。
さて猛暑の中、ワルシャワ中央駅から旧市街へ向かって歩き始めましたが、暑さのため旧市街広場まではとても歩けそうにないと判断、一番近い観光場所を探しました。
すると一番距離が近そうだったのは ショパン博物館Muzeum Fryderyka Chopina でした。
ショパン博物館入場には「事前の予約が必要」とガイドブックに記されていたので、すぐに入場できるとは思いませんでしたがすが、一か八か。
すぐに入場できなくても 後日の予約の為にも行く必要がありました。
本当はすぐにでも冷房の利いた室内へ入りたかったのですが、やはり ”今すぐ入場” というわけにはいきませんでした。
話を聞くと、午後6時ならこの日の予約がとれるとのこと。
時計を見ると その時 午後4時ちょっと前、入場可能な時間まで2時間程あります。
別の日の予約をして、先へ(歴史地区)へ進もうか・・・。
でももう この猛暑の炎天下の中、これ以上 歩けそうもないし・・・。
かといってカフェで2時間つぶすというのも、旅行初日からこんなんでよいのだろうか・・・。
いろんな葛藤がありましたが、その時 受付のお姉さんの「今日は入場フリーデーよ!」という助言が。
私が訪れたこの曜日はフリーデーだったのでしょうかね?
これも何かの縁・・・と、午後6時からの予約をお願いしました。
さて、それまでの2時間をどう過ごすか・・・
ショパン博物館にはカフェも併設されており、涼しそうな店内と冷たそうな白ワインが呼んでいました。
・・・が、もうひと踏ん張り。
ショパン博物館から(地図で見ると)600mほど離れたところにある ショパンゆかりの観光ポイント 聖十字架教会 へ向かいました。
600mと聞くと数字上ではとても近く感じますが、(くどいですが!)なんせ37-38度の猛暑、そして炎天下!!
日本では夕方には涼しくなってくる頃ですが、日本よりも日の長い夏のポーランドでは 午後4時頃は真昼間です。
ショパン博物館から聖十字架教会へ向う坂道を歩いた時のあの暑さは、人生の中でも5本の指に入る厳しい体験となりました。
決して急な坂道ではないのですが、炎天下で 蒸していて(日本ほどではなけど) とてもきつかった印象が残ります。
坂道を上り 大きな通り(新世界通りの終わり~クラクフ郊外通り・上写真)へ出て右へ、少し歩くと 美しい教会が見えました。
聖十字架教会Church of the Holy Cross(写真左)・・・
第二次世界大戦中のワルシャワ蜂起(1944)で崩壊し 戦後再建築されたバロック様式のカトリック教会。
ショパンの心臓がおさめられている教会として、ワルシャワのはずせない見どころの一つです。
破壊された時の写真がウィキペディアにありました。
1945年破壊された聖十字架教会の写真(Wikipedia)
ショパンの心臓もその際持ち出されたそうですが、1945年10月17日ショパンの命日に元の場所に戻されたそうです。
戦争は繰り返してはなりません!!
聖十字架教会の中に入ると・・・通りの雑踏とはまるで別世界の静けさ。
祭壇や装飾には金色が使われており荘厳な雰囲気です(上結合写真:右)。
そして まるで冷房がガンガンに利いているかのように キーンと冷えていました。
もちろん冷房ではありません、石造りってすごい!
罰当たりにも 「ここに教会があって助かった・・・」と本気で思ってしまいました。
ショパンの心臓がおさめられている柱にはレリーフがあり、すぐにそこがショパンの心臓が安置されている場所とわかりました(上結合写真:左・中)。
心の中で手を合わせつつ、ショパンのこと、世界中から集まるショパンを慕う人々のことに思いを馳せました。
天文学者コペルニクスNicolaus Copernicus(1473-1543)もポーランド出身なんですね。
ポーランドは偉大な人物を多く輩出しているのですね。
ポーランドの戦前・戦後を振り返り、戦争は 歴史的建造物に限らず、継承されるはずだった優れた人々や知識や学問等すべての財産を破壊するのだなぁ・・・と、第二次世界大戦で壊滅的に破壊され、戦後復元したワルシャワの町を歩きながら考えました。
歴史に”もし”はないけれど・・・、大戦がなければこの大国は 現在いろんな意味で大国だったのではないか・・・と。
その後ショパン博物館へ戻り、入場時間までの時間を併設のカフェで冷たい飲み物と共に 過ごしました。
ショパン博物館は2010年にショパン生誕200年に合わせ リニューアルオープンしたばかりとのこと。
上写真右:ショパン博物館入口を入ったところにある階段
ブログ冒頭の写真は ここショパン博物館の展示のひとつ・・・1848-1849年、ショパンが最後に使ったPleyel社のピアノだそうです。
博物館内部には 数多くの資料や写真が、最新のテクノロジーを使った 視覚的にも視聴的にも興味深く楽しい体験型の展示となって 紹介されていました。
博物館内では展示物もさることながら、これまでの暑さや疲労を忘れるくらい ショパンの情緒豊かな音楽で 体中が満たされました。
ショパンは20歳までポーランドで過ごし、活躍の場を西ヨーロッパ(ウィーンそしてパリへ)へ移しましたが、ポーランドへの強い愛国心を持ちながらも ロシアの支配下に置かれた祖国へは 2度と戻ることはなかったそうです。
ショパンの生きた時代は、ロシア帝国からの支配と それに抵抗する蜂起の絶えない 厳しい時代でした・・・。
そんな祖国への想いや 持病に苦しみながらショパンが生み出した 多くの曲は、様々な情景と共に、そして様々な感情と共に、痛烈に心に響いてきます。
ショパンの曲から 私が得ている癒しやパワーは、ショパンやポーランドの こんな背景があるからこそ なのでしょうね。
私も大好きなショパンの曲・・・これからは私もポーランドのことを想いながら たくさんの曲を聴いていきたいと思います。
ワルシャワ市内やワルシャワ郊外には 他にもたくさん ”ショパンゆかりの地”がありました。
私もガイドブックをみながら ”ショパンゆかりの地を制覇したい!”・・・と思っていました。
ですが、日程や時間が足りなかった為、そしてなにより!暑すぎて あまり積極的に観光地巡りをする気になれず、この教会とショパン博物館以外の”ショパンゆかりの地”を訪れることは 残念ながら できませんでした。
それでも 厳しい時代の中で翻弄された哀愁ポーランド・ワルシャワで、ショパンをの生きた時代を感じ、ショパンを身近に感じ、ショパンの愛したポーランドの風景が心にやきつきました。
これからは ”グレイの森”のイメージと共に(9月13日ブログ参照)、ポーランド・ワルシャワの情景が広がるでしょう・・・ショパンを聴くたびに・・・
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